2010年11月7日日曜日

JAPANESE FOOD [TEMPURA]

エビとレンコンと舞茸の天ぷら 

天ぷら[TEMPURA]

 
天ぷら(てんぷら)は、魚介類、野菜、山菜 等に、小麦粉に卵をあわせた衣をつけて油で揚げた代表的な日本料理である。てんぷら、天麩羅、天婦羅とも表記する。江戸料理、江戸(東京)の郷土料理となっている
 
タネ(または職人が使用する符丁としてのネタ)と呼ばれる食材に小麦粉と卵で作った衣をつけ、油で揚げた料理。本来は魚介類をタネとした物のみを天麩羅と呼び、野菜をタネとした物は「Syoujin Age」(しょうじんあげ、しょうじあげ)と呼び区別される。現在は、精進揚げも含めた総称として「天ぷら」という名称が使われることが多い。タネの名に「天」を付し「海老天」、「ナス天」等と呼ばれることもある。また、芝海老や小柱などの細かく切り刻んだ、あるいは元から細かい野菜類や魚介類を衣と混ぜ合わせて揚げたものは「KAKIAGE」と呼ばれる。さらに、青海苔を混ぜた衣を使ったものや、板海苔をタネに巻いたもの、あるいは板海苔に衣を付けて揚げたもの(衣は主に片面だけに付けられる)は「磯辺揚げ」(ISOBEAGE)と呼ばれる。
 
タネとしては、アナゴ、キス、エビ、イカ、などの魚介類、ナス、カボチャ等が代表的であるが、これらに限定されず種々の魚介類や野菜がタネにされる。四季折々の食材が用いられることも多い。ただし、例外はあるものの、肉類は基本的にタネとはならない。
日本人にとっては馴染み深い料理であり、天ぷら専門の店や職人が存在するが、元々は屋台で食べられた江戸庶民の大衆的な食べ物であった。
 
History
 
奈良時代~平安時代に伝来したものは米の粉などを衣にしたものであり、その後、鎌倉時代には精進料理、16~17世紀には西洋のFritter様のものが伝来した(平田萬里遠の『近世飲食雑考』によると、17世紀末にポルトガルから伝来した料理であるとされる。
 
この天ぷらの形が出来上がった江戸時代前期は、「天ぷら屋」と呼ぶ屋台において、串にさした揚げたての天ぷらを立ち食いする江戸庶民の食べ物であり、屋台ではなく天ぷら店として店舗を構えるようになったのは幕末近くであった。
 
調理法
 
薄力粉、鶏卵、冷水を軽く混ぜ合わせて衣を作り、食材をくぐらせ160 - 180℃の油で揚げる。衣に「華を咲かせる」と呼ばれ、衣を大きく見せ食感をよりよくさせる技法がある。天丼の材料とする時などに衣を厚めに揚げることもある。
揚がった天ぷらは、天ぷら鍋に取り付けた天ぷら網あるいは天台(天ぷらバット)などに移して油を切る。
 
食べ方
 
単品として食べる場合、天つゆで食するのが一般的である。そのため天ぷらの専門店などでは揚がった天ぷらは天皿、天つゆは呑水(とんすい)に入れて供される。天つゆは「出汁」と「みりん」と「醤油」が基本となるつけ汁で、大根おろし、紅葉おろし、おろし生姜等がYAKUMIとして用いられる。これは近代に入ってからの食べ方であり、天ぷらが発明された江戸時代には醤油をかけて食べていて、現在でも家庭料理としては醤油をつけて食べる場合もある。
素材そのものの繊細な味を楽しむために、付け塩で食べることも多い。
 
天ぷら

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