2010年10月29日金曜日

JAPANESE FOOD [NABE COOKING]

鍋料理(なべりょうり)は、食材を食器に移さず、鍋(pot)に入れた状態で食卓に供されるCOOKING。鍋物(なべもの)、あるいはただと呼んで指す場合もある。複数人で鍋を囲み、卓上コンロやホットプレートなどで調理しながら、個々人の椀や取り皿あるいは、ポン酢やタレなどを入れた小鉢(呑水という)に取り分けて食べるのが一般的である。特に冬場に好まれ作られます。
現代においては、通常は複数人で囲んで食べるため一抱えほどの大きさの鍋を用いるが、一人用の鍋も市販されており、これを用いる場合は椀などに取り分けず、鍋から直接食べることもある。「お鍋」とも言われる。
 
HISTORY
 
近代以前の日本の住居には、台所にある竈(kamado)とは別に、調理のほか照明や暖房を兼ねたIRORIが用意されることが多く、そこで煮炊きした料理を取り分けて食べる事は日常的に行われていた。江戸時代に入ると、囲炉裏の無い町屋や料理屋で、火鉢やコンロを使用した『小鍋仕立て』という少人数用の鍋が提供され、鍋から直箸で何人かがつつくという現代見られる鍋料理が発達した。その後も明治時代入ってからの牛鍋の流行など鍋料理は一層の普及がみられた。調理の近代化が進み調理の熱源が木質からガスなどに転換するにつれて、加熱をしながら食べるという方式は飲食店での提供が主となったがカセットコンロなどの発明と普及により、再び家庭でさかんに鍋料理が食べられるようになっている。
YOSENABE
 
使われる器
 
日本の鍋料理に使用する鍋として、最もポピュラーなのは陶器製の土鍋である。土鍋は熱伝導性が低いため火がじっくりと通り、長時間の煮込みでも焦げ付いたりする危険性が低いために鍋料理に適しており、「YOSENABE」をはじめとして、多くの鍋料理に対して用いられる。
 
鍋料理の締め
 
いろいろな具材を煮込んでいるためにスープには出汁が凝縮された状態になっている。このスープを利用しての食べ方にもいろいろあるが、一般的には「ZOUSUI」が多い。
 
雑炊<野菜雑炊>
ZOUSUI

2010年10月26日火曜日

JAPANESE FOOD [UDON]

うどん[UDON]

 
うどん(饂飩)は、日本旧来の麺類のうち、小麦粉を原料とし、ある程度の太さ・幅を持った麺、または、この麺を調理した料理である。
 
うどんの麺は、薄力粉、中力粉に若干の塩を加えた生地から作られる。生地に加えた塩分の大部分は、茹でる間に麺から失われます。 茹であげた麺は、「うどんつゆ」を張った「うどん鉢」に入れて供される(かけうどん)。
 
うどんつゆは、西日本では昆布と鰹節・煮干で取った出汁を淡口醤油で調味したもの、東日本では昆布と鰹節の出汁を濃口醤油で調味したものが用いられることが多い。
手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違う。
 
HISTORY
 
うどんの誕生には諸説があり、定かではない。
 
奈良、平安時代に遣唐使や空海らにより、小麦粉の製法が伝えられ、日本で独自に変化したものの様である。
「うどん」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからであり、切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じて[UDON]と呼ばれた。
 
東日本にはうどん処として知られている地域が多く(吉田のうどん、武蔵野うどん、加須うどんなど)、大坂(現在の大阪)では天正12年に蕎麦屋「砂場」が開業し、西日本でも江戸時代には蕎麦文化が広まったとも言われている。
現在、東京周辺、近畿ともにうどんの専門店は従来の店とチェーン店がある。また日本全国には、うどんとそばの両方を供する「うどん屋」、「そば屋」と称する店が多いが、うどんを主としている店では「うどん屋」、そばを主としている店では「そば屋」と呼ぶことが多い。
 
関東と近畿の「つゆ」のちがい
 
うどんのつゆは関東と近畿では異なっており、色の違いは使用する醤油の種類による。
東京では濃口醤油を加熱しながら「みりん」や「砂糖」を加えてつくる「かえし」と呼ばれる下地を用いる(加熱しない「生がえし」を用いる場合もある)。このかえしを基本に、昆布、削り節(本枯鰹節削り節)を基本とした「だし」で割って作っている場合があり、つゆの色は濃く艶やかである。 関東全域の伝統的なうどんでは煮干、干椎茸を用いた出汁で醤油ないし味噌で味付けしたものが多い。調理例写真
KANSAI Style UDON
 
 
近畿では、醤油、昆布、削り節、鯖節などのだしを基本にしており、椎茸やいりこ(煮干し)を使う。椎茸は甘味、炒り子は辛味が出る。醤油は薄口醤油を使うことが多い事からつゆの色は薄く澄んでいる。また、それを吸い物のように飲み干すようなつくりになっている。
 
*関東風卵うどん
KANTOU Style UDON

2010年10月24日日曜日

JAPANESE FOOD [YAKISOBA]

 
焼きそば

 
焼きそば(やきそば)は、小麦粉から作った中華麺を炒めて味付けをした日本の麺料理。
 
やきそばの「そば」とは、中華そば同様に、「麺(MEN)」を意味し、蕎麦の麺は普通使わない。 また、同じ小麦粉の麺でも、「うどん」を使ったものは「YAKIUDON」と呼ばれ区別されています。
 
中国料理の炒麺を元に日本で様々なアレンジが加えられて発展した料理である。蒸した生麺を、豚肉などの肉類やキャベツ、もやしなどの野菜と共に油で炒め、調味料で味をつけて完成させる。主体となる調味料の違いにより、ソース焼きそば、醤油焼きそば、塩焼きそばなどの種類がある。
 
単に"焼きそば"と言う場合にはソース焼きそばをさす事が多く、その起源は戦後の屋台で安価なウスターソースで味付けした焼きそばが作られたのが始まりという説があるが詳しい事は判明していない。ソース焼きそばは、薬味に青のり、付け合わせに紅ショウガ、が添えられるのが定番である。
 
日本では非常に一般的な軽食として良く知られており、鉄板を使ったバーベキューメニューとしても多く作られている。また、地域によって具材や調理法に特色があり、地域おこしのためのご当地メニューとしてPRしているものも少からずあります。
 
バリエーションとしては、
炒めた麺の上に、調理した肉・海老・人参・筍・椎茸などの具を水溶き片栗粉などでとろみをつけて合わせた餡を掛けたものは「GOMOKU ANKAKE YAKISOBA」あるいは単に「五目焼きそば」「あんかけ焼きそば」と呼ばれる。
また、油で揚げてパリパリにした麺の上に餡を掛けたものは「堅焼きそば」(あるいは「あげそば」「ばりそば」)と呼ぶ。「皿うどん」はこれに似ているが、麺の太さなどが異なる。
五目あんかけ焼きそば
GOMOKU YAKISOBA
    KATA YAKISOBA
 
その他、焼きそばをホットドックパンにはさんだ「YAKISOBAPAN」など色々あります。

2010年10月23日土曜日

JAPANESE FOOD [MONJYAYAKI]

もんじゃ焼き

 
もんじゃ焼き(monjyayaki)は、小麦粉を主体とした材料を鉄板で調理する日本の料理で、「MONJYA」とも呼ばれる。
 
日本の関東地方で多く食べられ、東京の物が有名であるが、もんじゃ焼きを食べる地域は日本各地にあり、各地の特徴がある。
 
特徴
 
「MONJYAYAKI」は「OKONOMIYAKI」の原型となった料理で、もともとは主に間食(おやつ)として食べられていた。小麦粉を溶かす水の量が多く、またソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴である。鉄板にコテで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する外部は食感がパリッとしているが、押さえつけが足りない部分などはトロッとしている。
 
もんじゃの食べ方は、専用の小さなヘラ(コテ)で食べます。一般的にもんじゃはお箸は使わずに"はがし"(ヘラ)を使って食べます。                           
 
HISTORY
 
起源は、江戸中期の江戸で作られた仏事用菓子「FUNOYAKI」であるといわれている。その後、麩の焼きを起源として江戸末期から明治にかけ、味噌の代わりに餡を巻いて作る「SUKESOUYAKI」が生まれる。この食べ物は東京・大阪で大流行し、明治時代には「もんじゃ焼き」「ドンドン焼き」が生まれた。 1980年刊『北斎漫画』に、「文字焼き屋」の挿絵があり、この時代既に江戸にもんじゃ焼きに類するものがあったことが分かっている。焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、「もんじ焼き」これが「もんじゃ焼き」となったとの説が有力である。
 
駄菓子としての「MONJYA」
 
東京・下町の駄菓子には、昭和初期から昭和40年代ころまでは大抵、もんじゃ焼きの鉄板があった。昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代も中頃をすぎると、キャベツはもちろん、切りイカなど具の種類も増えていった。もんじゃ焼きはかつて、下町を中心とした子供達に親しまれていたが、近年は食文化の変化、駄菓子屋の減少から子供達に食べられなくなってしまった。
近年、もんじゃ焼きは東京下町の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになった。
 
これがもんじゃ焼のおいしさの秘訣!!もんじゃ焼きの作り方

2010年10月21日木曜日

JAPANESE FOOD [OKONOMIYAKI] Ⅱ

今回は、前回に引き続き「お好み焼き」の代表である、「関西風お好み焼き」と「広島風お好み焼き」を紹介しましょう。
    
 
関西風お好み焼き
 
大阪地方を中心とする関西風お好み焼きは、小麦粉の生地に刻んだキャベツを混ぜて鉄板上で焼く調理法をとる。また、生地の中に山芋を混ぜ込み食感を軽くする工夫が行われることも多い。因みに地元関西では「お好み」と略して呼ばれる事が多い。
 
History
 
戦前までは、「YOUSYOKUYAKI」「ISSENYOUSYOKU」「NIKUTEN」などと呼ばれ、小麦粉を水で溶き鉄板に円状に広げ、その上にネギや天かすなどを載せて焼く「のせ焼き」が主流であり、子供のおやつのようなものであり、庶民の親しまれる日常の食べ物であった。
 
基本的な肉、野菜焼きをベースに「ソバ焼き」あるいは、「モダン焼き」、そして季節の魚介類をも加え、文字通り「お好み」に応じて鉄板の上で焼き、ビールや種類のつまみとしても供した。
その後、食生活が多様化するに従い、この様な内職的な店は廃れ、繁華街を中心にして専業化した店が他の食種とも味を競うようになった。
 
モダン焼き
 
MODANYAKI(「そばのせ」とも言う)は、関西風お好み焼きの一種で、具材に焼きそば用の茹でた中華麺を生地に混ぜ、または通常のお好み焼きに重ね、焼いたもの。中華麺の代わりにうどんを用いる場合もあり、「うどんモダン」と呼ばれる。また、店によっては、重ねるお好み焼きの生地に卵を加えない場合もある。ボリューム感あふれる外見とそれに違わない食感が特徴である。通常、具材としてはオプションとして用意されている。神戸・明石周辺では、焼きそばを生地とのつなぎとして固めたものが「モダン焼き」と言われている。薄く生地を焼き、その上に焼きそばを乗せ、その上から生地をかけてひっくり返して焼くものである。         
 
近年、関東でも関西風お好み焼き店が増えており、その客も関西出身に限らず関東や日本各地の出身者も多い。しかしその食べ方は、関西とそれ以外の出身の人たちでは大きく異なる。関西ではお好み焼きはテコでさいの目状に切って箸を使わずに食べるが、関東をはじめとする日本各地の出身の人たちは、ピザと同じようにお好み焼きの中心から放射状に切って食べることが多い。
 
広島風お好み焼き
 
戦争や原爆で夫を亡くし、自宅の土間を改造して店を始めた女性も多く「〇〇ちゃん」という屋号のお好み焼き屋が多い。
昭和40年代頃までは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらう事が出来た。現在は卵や肉は、基本で入っている場合が多いが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけも珍しくはなかった。この頃の野菜だけの値段は250円程度だった。またお店で食べず、家に持って帰る場合は家から平らな皿を持っていった。今は、プラスチックのトレーが普及しているが、当時はまだ無かったため皿は必需品だった。この皿に薄くソースを塗ってお好み焼きを置いて持ち帰っていた。
 
広島地区での焼き方は、現在の広島風お好み焼きと同じく「のせ焼き」だった。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、そばは入れられていなかった。このクレープのような生地に二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも残っており、円盤状のものに比べて場所をとらず、またやり方によっては、片手で食べることも可能になるので、焼きそばと卵焼きを挟んだものが広島県内のスーパーマーケットでよく売られている。
 
見栄えを良くするために二つ折りだったのを、折らずに円盤状にした。当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。そうして、1955年頃に現在の広島風お好み焼きになった。お好み焼きは突然完成形が出来たわけではなく、当時は屋台営業の為に他店の手の内が分かりやすく、互いに影響を与えながら現在の形に進化していった。
生地と具を混ぜないのが最大の特徴。薄いクレープ状の生地と具とを、多重に重ねて焼く。そばやうどんを挟む場合が多く、ボリュームがある。
 
(≧∇≦)ъ ナイス!なマスター
HIROSIMA STYLE OKONOMIYAKI
 
 

2010年10月20日水曜日

JAPANESE FOOD (OKONOMIYAKI)

【お好み焼きイメージ】 さくら亭のお好み焼きは、広島風お好み焼きというより、関西風お好み焼きに近いもの。他と違い、秘伝のダシと山芋によってふっくらと美味しく焼きあがるのが特徴です。

お好み焼き(OKONOMIYAKI)
 
OKONOMIYAKIは、鉄板焼き料理のひとつ。
 
水に溶いた小麦粉を生地として、野菜、肉、魚介類などを具材とし、鉄板の上で焼き上げ、調味料をつけて食するものであるが、焼き方や具材は地域において差が見られる。「関西風お好み焼き」と「広島風お好み焼き」の2種類の調理法が特に代表的であるが、その他の地域にも同じような料理は多数存在する。
 
Hisutory(歴史)
 
お好み焼き類の起源は、安土桃山時代の千利休が作らせていた、{麩の焼き(funoyaki)}であると言われている様です。その後、麩の焼きを起源として江戸末期から明治にかけ、味噌の代わりに餡を巻いて作る「SUKESOUYAKI」が生まれる。
この食べ物は東京の麹町で生まれ、明治時代には「MONJYAYAKI」「DONDONYAKI」が生まれた。大正12年の関東大震災の際には主食的位置を占め、昭和になると東京では、ウスターソースを塗って食べる「文字もんじゃ焼き」や「一銭洋食」が食料不足を補う方法としてもてはやされるようになる。
それらが大阪にも伝わり、コンニャクや豆の具を入れしょう油味で食べる「ベタ焼き」「ちょぼ焼き」が誕生し、それが各種鉄板料理へと派生、関西地方や広島県において現在「お好み焼き」と呼ばれるスタイルに発展したといわれています。
 
 
関西風お好み焼き
 
大阪地方を中心とする関西風お好み焼きは、小麦粉の生地に刻んだキャベツを混ぜて鉄板上で焼く調理法をとる。また、生地の中に山芋を混ぜ込み食感を軽くする工夫が行われることも多い。因みに地元関西では「お好み」と略して呼ばれる事が多いようです。
 
広島風お好み焼き
 
広島地区での焼き方は、現在の広島風お好み焼きと同じく「のせ焼き」だった。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、そばは入れられていなかった。このクレープののような生地に二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも残っており、円盤状のものに比べて場所をとらず、またやり方によっては、片手で食べることも可能になるので、焼きそばと卵焼きを挟んだものが広島県内のスーパーマーケットでよく売られています。 
 
その他の地域のお好み焼
 
その他の地域(北海道、東北、関東、東海、近畿、中国、九州、沖縄などの各地方、日本外・・etc)にも、色々な食べ方や、味付けのお好み焼きが存在します。
 

2010年10月18日月曜日

JAPANESE FOOD [RAMEN] 

ラーメンは、汁(SOUP)に茹でた中華麺を入れたJAPANFOOD。漢字表記は拉麺あるいは老麺柳麺、別名は中華そばあるいは支那そばなど。日本では国民食と呼ばれるほど広く親しまれ、日本国外でも知名度が高い。
                                                                     
The Beginnings of Ramen
JAPANのラーメンの「起源」は間違いなくCHINAだと思われます。
江戸時代に明からやってきた儒学者の朱舜水水が献上して、水戸光圀が中華麺を食べたという記録が残っています。

日本のラーメンの語源になっているのは中国の「拉麺」です。「拉(la)」は引くとか引っ張るという意味で、「麺(mian)」は小麦粉を水で練ったものや小麦粉製品全般を指します。

小麦粉を練って、それを両手で引っ張って細長くすることを繰り返して作られるのが「拉麺」です。

日本では小麦粉で作った生地を包丁で細く切って作ったものでも「ラーメン」と呼ぶと思いますが、中国では決してそうは呼びません。「拉麺」には日本のラーメンでよく使っているかんすいを使っていないので、見た目は細くて、そばに近いですが、縮れていませんし、麺そのものの味はむしろうどんや素麺に近いです。スープの味は地方によって異なりますが、日本のラーメンのような醤油、味噌、塩、豚骨といったスープではなく、鶏や豚などをベースにしたあっさりとした透き通ったものが多い様です。

スープに細長い小麦粉製品を入れているという共通点はありますが、日本のラーメンと中国の「拉麺」は作り方や細かい形状、スープなど異なる点が非常に多いので、起源は同じだとしても、今日では全く別の料理であると考えていいと思います。

日本の「洋食」が本場のヨーロッパにはない、日本流にアレンジされた「和風ヨーロッパ料理」、ないし「ヨーロッパ風日本料理」であるように、「ラーメン」も和風中華料理」ないし「中華風日本料理」と呼ぶにふさわしいものだと思います。

世界中で日本料理として有名になっている「天麩羅」もその起源はキリスト教の宣教師たちが日本に伝えた「temporas」や「témporas」などと呼ばれているポルトガル(またはスペイン)料理が日本で独自の発展を遂げたものです。「ラーメン」もその起源は中華料理でも、かんすいを使ったコシのある麺、醤油や味噌、豚骨など様々なスープがあり、上に載せる「なると」や「チャーシュー(中国の「叉焼」とは全く異なる煮豚)」などに日本独自の具材を使っている点から、世界中で「日本料理」として認められています。中国でも日本の「ラーメン」と「拉麺」は別の料理として認識されているようです。

2010年10月16日土曜日

JAPANESE FOOD 「SUSHI」

『寿司』のHistory 
「sushi」には『鮨』『寿司』『鮓』があります。 しかし、これは当て字と言われております。
「すし」の始まりは、詳しい資料などありません。
東南アジアの山奥の民族が、川魚の保存するために、麦や豆などの穀物を、 炊きこんだものに漬け、
自然発酵させて、賞味期限を延ばして、保存し、食べたというのが、始まりであるという説があります。
鮨、鮓という漢字は2500年以上も前から中国にあった漢字です。 「旨」は熟成する、「乍」は薄くするの意味で、
自然発酵させて食べていた魚が、東南アジアの山奥から中国に渡り、 それが日本に伝わったとされています。
しかし、Chinaには現在、 それに近い食べ物はないそうです。
その東南アジアの山奥からjapanに伝わり、同じ頃に漢字が伝わって来たため、
『鮨・鮓』の漢字が使われているという説があり、この説の方が納得できる気がします。
 『寿司』とは、お祝い事(寿)として、司る(つかさどる)の意味で、 縁起が良いとして言い伝えられています。
日本に伝わったのは、いつであるかとは定かではないが、 漢字だけが伝わって来たという説もあります。
魚介類の「すし」と呼ばれる漬け物が大陸から来たという説もあります。
書物では、718年の養老律令で、『鮓・鮨』の漢字があり、 これは魚介の漬け物といわれている。
なれずし(馴れずし)は奈良時代の書物に近江国から宮中への献上品として記してあり、
琵琶湖のニゴロ鮒と江州米を漬け込んで作ったものだそうです。 これは、 現在の『フナ寿司』のような物です。
その他にも、すしの原型は、 関西中心のお話が多く、日本の寿司の伝統は関西であるといわれています。
『サバの棒寿司』『押し寿司』『箱寿司』は、 関西発祥であるのは有名な話です。
 そして、同様に有名な『握り寿司』は徳川幕府末頃、屋台の料理人がその頃主流の関西風の押し寿司の
寿司飯に魚介類をのせて、簡単に作れるとして、 販売したのが、『握り寿司』の始まりだといわれています。
その時の寿司一貫の大きさはテニスボール位の大きさであったという、 資料があります。
今の握り寿司とはかなり異なっています。
食材のネタも今とはかなり違い、握り寿司の誕生から 日本国中に広がっていったのは、昭和に入ってからです。
江戸以外では『握り寿司』は歴史はかなり浅く、 江戸の郷土料理ともいえます。
『江戸前寿司』とは、握り寿司の発祥の地が江戸で、 江戸城のお堀で、ウナギがよく取れたので、
江戸前のウナギの蒲焼と、商人が販売していたが、 いつの日か、東京湾で取れる魚介類のことも、
江戸前と表現するようになり、人気上昇中の握り寿司のネタにも、取り入れられて、
『江戸前寿司』と呼ばれるようになりました。

  
今や、全国各地でも『江戸前寿司』の看板やのれんがあるが、
寿司ネタを東京湾で取れた物だけにしているのではなく、
『江戸前』という言葉が、ブランド的存在であるという説があります。
これは、定かな説ではないようです。

「シャリ」の語源は「仏舎利」(仏様の遺骨)が、ちょうど
お米の形に似ているためそう呼ばれているそうです。

2010年10月15日金曜日

医食同源SERIES (HEALTH&TEA)

歴史が証言するお茶と健康の関係性

ChinaでもJapanでも、お茶は健康によい飲みものと考えられていました。近年、お茶の有効成分は、多数解明されています。

古代から健康のために飲まれてきたお茶

Chinaの唐の時代、陸羽(りくう)が著した世界最古のお茶の科学書である『茶経』には、「熱がでてのどが渇くとき、気が沈みがちなとき、頭が痛いとき、目がしばたたくとき、手足が痛み節々が伸びないときに、TEAを4、5杯飲めば効果がある」と、お茶の鎮静作用などの有用性が記されています。
 
JAPANに喫茶の習慣が広まるきっかけをつくった栄西禅師(臨済宗の開祖)は、わが国最古のお茶に関する科学書『喫茶養生記』(1211年)を記しました。この書物の中で、「茶は末代養生の仙薬なり。人倫延令の妙術なり。山谷これを生ずればその地神霊なり。人倫これを採れば、その人長命なり」と述べ、健康保持を図るには、お茶は欠かせないDRINKであると説いています。

一方、栄西は山城高山寺(京都)の明恵上人(華厳宗)に茶種を贈り、明恵の手で京都栂尾(とがのお)をはじめ、諸国でお茶が栽培されるようになりました。このとき明恵上人は、お茶を世間に広めるために芦屋釜の側面に「茶十徳」の文字を刻み、お茶の効用を説いたといわれています。
 
現在では、お茶には多くの有効成分が含まれており、次々にお茶の健康性が解明されています。お茶は薬ではありませんが、薬に勝るとも劣らない有効成分を含んでいます。それらが病気の原因となるさまざまな要素から身体を守り、病気にならない良好な状態を保つという点で、お茶はもっとも身近な健康飲料といえそうです。

2010年10月14日木曜日

医食同源SERIES(BLACK TEA)

Europe and the United StatesでのTEAの歴史
 
欧米でのお茶の歴史は、16世紀半ば過ぎに当時の貿易商たちが日本やアジア諸国のお茶文化に接したことに始まります。ときには、お茶がもとで歴史的な争いも起こりました。
 
貿易がもたらした欧米諸国でのお茶の歴史
 
16世紀半ば過ぎ、ポルトガル人は植民地マカオと日本との往来の中で、日本の「茶の湯文化」に接しました。そして彼らは、お茶のための建物や器に莫大な金を払うこと、また、お茶のための作法など幅広い文化をもっていることに驚嘆しました。このことが欧米各国にお茶が伝播するきっかけとなりました。
 
西欧に初めてお茶を伝えたのは、オランダの東インド会社ですが(1610年)、それは紅茶ではなく緑茶(平戸で買った日本茶、マカオでポルトガル人から買った中国茶)でした。
 
イギリスは、1669年にオランダ本国からのお茶の輸入を禁止する法律を制定し、宣戦布告します。そして、英蘭戦争(1672~1674年)に勝利を収めたイギリスは中国貿易で優位に立ちますが、実際に中国から直接輸入したお茶がイギリスに流通したのは、15年後の1689年のことです。この年を境に、イギリス東インド会社が基地を置く福建省厦門(あもい)のお茶が集められ、それがイギリス国内に流通するようになりました。1720年、イギリスは輸入独占権を得ました。
 
厦門に集められるお茶は、すべて紅茶に似た半発酵茶「武夷茶」でした。武夷茶は茶葉の色が黒かったことから、“black tea”と呼ばれ、やがて西欧におけるお茶の主流になりました。さらに好みに応じて発酵度をあげた製品づくりや、製法を綿密にした「工夫紅茶」が開発され、現在の紅茶のもととなります。
 
1823年、Englandの冒険家ブルースがインドのAssam地方で自生の茶樹(アッサム種)を発見し、後にそれが中国種とは別種の茶樹であることが確認されました。また、緑茶と紅茶の違いは製法の違いであり、原料は同じ茶樹であることが、1845年に英国人のフォーチュンによって発見されました。これらの発見により、中国種と新しいアッサム種との交配が進み、インド各地やスリランカ、バングラデシュでお茶の栽培が盛んになるのです。
イギリス人が紅茶を好んだのは、脂肪やタンパク質の消化を促進する発酵茶の作用を体験的に知っていたためといわれています。イギリスは、大規模農法と合理的な加工法を採用し、低コストで紅茶を量産しました。
 
1870年代には、オランダもインドネシアにおいて本格的なプランテーションを開発し、自国の消費と貿易の商材としたため、インドネシアがインド・スリランカ・ケニアとともに、世界有数の紅茶生産国となりました。そして、紅茶の生産は第二次世界大戦後、アフリカ諸国(ケニア・マラウイ・南ア共和国など)に広がっていきます。
 
ロシアには、16世紀後半ころからモンゴル経由で喫茶の習慣が伝わったとされ、1689年のネルチンスク条約で対中国交易開始以降、団茶が貴族階級で飲まれるようになりました。
 

2010年10月13日水曜日

医食同源SERIES (CHINESE TEA)

CHINESEでのTEAの歴史
 
中国では、古くからさまざまな飲み方でお茶が楽しまれ、歴史とともに変化しながら、一般市民へと普及していきました。
 
中国で始まり、発展したお茶の歴史
 
漢の時代(紀元前1世紀)、お茶は単独ではなく、みかんの皮、ねぎ、しょうがなどと混ぜて、お吸い物(あつもの)として飲まれていたようです。
 
唐の時代(618~907年)になると、お茶を飲む習慣は全国に広がります。このころのお茶は、茶葉を粉々にして固形にし、乾燥させた緊圧茶(固形茶)が主流でした。 【餅茶(びんちゃ)】
 
世界でもっとも古いお茶の本といわれている『茶経(ちゃきょう)』は、唐の時代に陸羽(りくう)によって記されたものです。 この頃、固形茶を焼いて削り出すという方法から、茶葉本来の風味を引き出す固形茶を挽いて、粉末を煮出す方法が考案されました。
宋の時代になると、お茶は貴族から役人や文人など富裕な市民のものへと変遷していき、お茶を飲みながら詩を吟じ、書をたしなみ、絵を描き、哲学を論じたとされています。
明の時代になると、お茶は大変動の時代を迎え、貴族と富裕市民に限られていた喫茶の習慣が、一般市民へと普及していきました。
 
清の時代になると、中国茶葉や茶具はほぼ完成し、茶文化は最盛期を迎えます。
 
清が崩壊すると、中国は列国の侵略を受けますが、茶壷製作や茶葉の栽培はより発展しました。
 
中華人民共和国の建国(1951年)後、中国茶は順調に発展を続けていましたが、毛沢東の文化大革命(1966~1976年)により、お茶は贅沢の象徴として弾圧され、栽培は制限されました。代わって台湾や香港で茶芸とお茶の栽培がより発展し、現在ではTaiwan Teaは世界的に有名になりました。
 
中国茶(烏龍茶)、紅茶の成分と効果・効能
 
中国茶(烏龍茶)や紅茶は、緑茶と異なる成分特徴をもっています。独特の香りや風味は、茶葉本来の成分が酸化酵素の働きで変化することでつくられます。
 
緑茶と異なる成分特徴をもつ中国茶(烏龍茶)やBLACK TEA
 
緑茶は、その製造工程の初期段階(蒸熱)で酸化酵素の働きを止めるため、カテキン類の重合(いわゆる合体)はほとんど起こらず、カテキン類は減少しません。それに対して中国茶(烏龍茶)や紅茶は、酸化酵素の働きにより、茶葉中の成分が変化し、独特の風味・香味が生まれます。また、カテキン類の重合が起こり、カテキン類は減少します。
catechin 類が重 合すると、テアフラビン類・テアルビジン類が生まれます。
テアフラビン類は、紅茶の重要な水色成分です。紅茶からは現在4種類のテアフラビン類が分離されていて、紅茶に0.3~2%程度存在します。烏龍茶は発酵度合いが低いので、テアフラビン類は検出されたとしてもごくわずかしかありません。
テアルビジン類はテアフラビンと異なり、多くのカテキン類が重合したものです。
この重合ポリフェノール(合体ポリフェノール)の保健作用に関する研究は、まだ進行途上ですが、カテキンと同様に抗酸化作用や抗菌作用を有することなどが解明されつつあります。
 

2010年10月11日月曜日

医食同源series(japanese tea)

JAPANESEでのTEAの歴史
TEAの伝来、日本での始まり
お茶の種子の伝来以来、独自の歴史を築いてきた日本のお茶文化。貴族階級から武士階級へと広がり、江戸時代になると庶民にまでお茶を飲む習慣が普及しました
遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)、永忠(えいちゅう)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが国のお茶の始まりとされています。
平安初期(815年)の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。このころのお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。
お茶の栽培
もともと日本の山間部の奥地に自生していた「山茶(さんちゃ)」を飲んでいたという説もあるようですが、お茶の栽培は栄西が、中国より持ち帰った種子を佐賀県脊振山(せぶりさん)に植えたのが始まりだといわれています。その後、京都の明恵上人(みょうえじょうにん)が栄西より種子を譲り受け、京都栂尾(とがのお)に蒔き、宇治茶の基礎をつくるとともに、全国に広めていきました。
当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させたもの(碾茶=てんちゃ)で、社交の道具として武士階級にも普及しました。
南北朝時代の『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』(虎関師錬=こかんしれん 著)には、当時の名茶産地が記されています。京都各地および大和、伊賀、伊勢、駿河、武蔵では、寺院、寺領の茶園を中心に茶栽培が行われるようになりました。さらに、お茶栽培の北限といわれる茨城の奥久慈のお茶も14世紀に始まったといわれています。
Green Teaの成分と効果・効能
渋み、苦み、旨みなどの独特な味わいをもつ緑茶には、人間の健康によい影響を与えるとされる成分が多く含まれており、実に多様な効果・効能があります。
○CATECHIN(お茶の渋み成分):血中コレステロールの低下、体脂肪低下作用、
                   がん予防、抗酸化作用、虫歯予防、抗菌作用、
                   抗インフルエンザ作用、血圧上昇抑制作用、
                   血糖上昇抑制作用、口臭予防(脱臭作用)
○CAFFEINE(お茶の苦み成分):覚醒作用(疲労感や眠気の除去)持久力増加、
                    二日酔い防止、利尿作用
○L-THEANINE(お茶の旨み成分):神経細胞保護作用、RELAX作用(α波出現)、
                      血圧低下作用
○その他            :Vitamin 類(ビタミンC、ビタミンB2、葉酸、β-カロテン
                         ビタミンE)
                   SAPONIN、fluorine、γ-アミノ酪酸、ミネラル,
                                                     chlorophyll
                     

現代でも日本では、お茶のおいしさの特徴を引き出す入れ方などに工夫しながら、楽しんで飲まれています。

2010年10月10日日曜日

医食同源series (そば buckwheat noodles)

日本人の死亡原因の多くを占めるのが、がん、Heart Disease、Cerebrovasucular Diseaseです。このうち心臓疾患と脳血管疾患はHight Blood Pressureが深く関与しています。buckwheat noodlesには高血圧を予防する成分が含まれていますし、Cancerを予防する成分も見つかっています。buckwheat noodlesの健康効果について紹介します。


【そばの栄養成分の特徴】
そばの栄養成分の特徴のひとつは、良質のProteinを含むことです。たんぱく質の良し悪しは構成するアミノ酸によって決まります。アミノ酸の中でもリジンは、穀類では一般に少ないのですが、そばには多くの Lysineが含まれています。そのためアミノ酸スコアはMilkを100とすると、そばは92 にもなります。また食塩排泄の役割をしているPotassiumが多く含まれています。さらに、亜鉛も豊富に含まれています。日本人に最近、味覚障害が増えているといわれていますが、原因は亜鉛欠乏だといわれています。そして荒れた胃壁を修復するビタミンであるNiacinも多く含まれています。
このように栄養成分が豊富な理由は、そばの実の形にあります。米や麦の胚芽は外側にあって、えぐみがあり捨てられてしまいますが、そばは胚芽に相当する子葉が実の中央にあるため、栄養成分が豊富な胚芽の部分も、含まれることになるわけです。
【そばの抗酸化作用】
そばには赤ワインやチョコレート・ココアでおなじみのPolyphenol が多く含まれています。ポリフェノールには活性酸素を防ぐ抗酸化作用があるといわれています。私たちは一生の間に1.7tonの油を食べ、18tonの酸素を吸っています。脂と酸素によって、私たちの体内には過酸化脂質ができるのですが、過酸化脂質はがんや老化、Allergy の原因になるといわれています。また紫外線は、過酸化脂質ができるのを助けてしまうことがわかっています。そこで紫外線から身を守るために、人間は建物の中に入ったり、日傘をさしたり、お化粧をしたりします。一方、植物の場合は、残念ながら動けないので、防御物質を日傘として身を守っているわけです。その役割をしているのが抗酸化物質・ポリフェノールなのです。それを人間が食べることによって、健康を守っているわけです。
そばの中には多くのポリフェノールが入っていて、様々な健康効果を持っています。中でもRutinという成分が非常に多く含まれていますが、これが健康成分の中心と考えられています。ルチンはビタミンCと一緒になって、毛細血管を強くして、脳血管障害を防ぎます。ほかに、レトロウイルス(エイズウイルス)に対する効果も実験で確かめられています。さらにルチンは、血圧や、血糖を下げるなどの作用が確かめられています。

【血圧降下作用】
高血圧の原因には塩分や、脂肪の過剰摂取のほか、血圧調節作用の異常によって血圧が上がるという現象があります。Liverの中にあるたんぱく質がアンジオテンシンIに変わり、アンジオテンシンI変換酵素によって、アンジオテンシンIIに変わります。このアンジオテンシンIIは、非常に強い血圧上昇作用があります。これが血圧上昇のMechanismです。一方、血圧を下降させる仕組みは、肝臓で作られるたんぱくであるブラジキニノーゲンが、キニナーゼIという酵素によって分解され、ブラジキニンという非常に強い血圧降下物質が生成され、これがさらにキニナーゼIIによって分解されることによります。実は、アンジオテンシンI変換酵素と、キニナーゼIIは同じ物質ということがわかりました。つまり、アンジオテンシンI変換酵素=キニナーゼIIを抑えれば、血圧上昇作用はなくなるし、血圧降下作用を示す物質がたまりますから、血圧が下がることになります。アンジオテンシンI 変換酵素=キニナーゼIIを抑える物質として、そばが非常に有効だったのです。同じような働きは他の食品にもあります。600種類くらいの食品を調べたものを見ると、中でもそばは非常に強い働きがあるようです。
ところでそばが血圧を下げるといっても、そばつゆには塩分が含まれています。ですから塩分を控えるように医師から指示されている方は、そばつゆをすべて飲み干すようなことは控えた方がよいと思います。
【血液サラサラ効果】
そばを食べる前後で血液のサラサラ度が、どのように変化をするのかを調べたものをみると、 37歳と58歳の男性2人にダッタンそばという、Rutinが通常のそばよりも8倍以上含まれているそばを食べてもらい、血液の変化をみてみました。その結果、もともと血液がサラサラだった37歳の男性では、若干、血液の流れが速くなりました。一方、血液がドロドロだった58歳の男性では、そばを食べた1時間後、血液がサラサラになっていたそうです。
さらに多くの方を対象に行った実験結果を示します。ボランティア8人に、そばを食べさせたところ、いずれも血液がサラサラになることが報告されていました。ドロドロの血液は高血圧や脳血管障害、心臓病の原因にもなります。そこで、医師と協力して、いろいろな病気の患者さんの血液を調べてみると、その結果、例えば脂肪肝や高トリグリセライド血症、糖尿病の患者さんでは、いずれも正常の画像に比べて血液がドロドロであることが判明したそうです。
【そばのOnePoint健康情報】
白いそばと黒いそばとでは、栄養成分にもそれぞれ特徴があります。内層粉で作ったそばは白いそばになり、更科そば、御前そばと呼ばれています。一方、外層粉で作ったそばは黒いそばになり、田舎そば、藪そばといわれています。白いそばは小麦が多く入っているそばだと思われる方がいますが、本来、白いそばというのは内層粉から作った更科そばのことなのです。成分をみると、血圧を下げる成分は内層粉に比較的多く含まれていて、日傘効果を持つRutinは外層粉に含まれています。
そば湯には栄養が溶け込んでいるから飲んだほうがよいなどといいますが、調べてみると、そば湯に溶けたルチンは10%程度で、ケルセチンはもっと少ないということが判明し、塩分の問もありますから、そば湯を無理に飲まなくてもよいと思います。お酒を飲んだ後にそばがいいともいわれます。昔、そば屋さんは居酒屋さんを兼ねていたようです。お酒のことを「そば前」と呼んだのです。今はお酒を飲み終わるとラーメンで締めようという方が多いようですが、昔はそばで締めていたようです。そうすると、先ほども説明しましたが、良質のたんぱく質と修復用のビタミン(ナイアシン)の作用で、荒れた胃も治るのではないかと考えられます。
日本人は本来、多くの食素材を持っています。欧米人は2000種類、アジア人は10000種類、そして日本人は12000種類といわれています。日本人が長寿なのは、こうした食素材の豊富さにあると考えられています。私たちも、おそばをもっと食べていただきたいものです。

2010年10月9日土曜日

医食同源2 medical treatment and  eat 2


昨日に引き続き医食同源について語ります(^^;)

皆さん、体調が優れない時や不具合が合った時、どのように対処していますか?

恐らく 大半の方が常備薬を服用するかDoctorでDRUGを処方してもらうかのどちらかではないでしょうか?

ちなみに、日本人は何かあればすぐにDrugに頼るという傾向がある事は強く感じておりましたが、たかだか人口一億数千万の島国が大国を出し抜いて薬を消費しているという現実に、私は少なからず恐怖を覚えます。

私は許されるなら極力、薬の服用は避けたほうがよいと考えています。

薬品、特に医薬品というものは人体にはっきりとした作用をします。

それと同時に、ある一定の作用が起きるという事は必ず反対の作用が起きます。
つまり副作用という問題が必ず付いて回るということです。

それに医薬品というものの大半は化学合成物質が多量に含まれていますので、その効果と引き換えに根本的な抵抗力、即ち自己免疫力を弱めてしまうのです。

ですから、薬品は、根本的なimprovement ・healingには不向きであるとも言えるのです。

では、薬や化学的治療に頼らずに積極的な治癒を求めるにはどうしたらよいのでしょうか?

その問題に関しては、非常に複雑で「これ」という決定的な対処法が未だ確立されていません。

ただ、間違いなく言える事は、そうした対処療法よりもpreventive medicineがとても大切であるということでしょうか?

そしてその予防医学の中心を担うのが「食」ではないか?と私は考えています。

医食同源とはよく言ったもので、食事を上手に摂というる事は、お医者さんや薬に匹敵するほど健康維持には大変重要very important なことです。

「医食同源」とは、「病気を治療する(医)事も、日常の食事をする(食)事も、共に生命を養い、健康を保つために欠かせないもので、源は同じ(同源)である」という意味です。

JAPANでも古来から食こそ薬と見なす考え方があり、薬膳というものはそういう観点から生まれた食養法のひとつです。

食は我々のBodyを形成し、健康な状態を保つのに最も必要なものであり、生命維持に決して欠かす事のできないものである事は言うまでもありません。

しかし、先進国であればあるほど、飽食であればあるほど、医食同源という思想から徐々に離れ、美食のみを追い求めた非常にUNBALANCEな食生活を送るようになってしまいました。

それは日本とて例外ではなく、fast foodに代表される欧米食が瞬く間に根付き、日本の誇る食文化が大変な勢いで破壊されつつあります。
その結果、一昔前では考えられないほどの生活習慣病が蔓延するようになってしまいました。

もともと日本人は肉食中心の欧米食を食べ続けられる体の構成ではありません。
それは、皆さんご存知の通り、他の人種と比べJapaneseは腸がかなり長い構造になっているからです。

比較的消化.吸収に時間のかかる野菜や穀物を主食とする日本人は必然的に腸を長くする必要性があり、逆に西洋人は肉食中心ですから、摂取した食物が腸内で腐敗し易く、腸内発酵による悪玉菌の毒素の影響を受けやすいため、できる限り早く体外に排泄できるよう、腸が非常に短い構造になっているのです。

そんなこと誰でも知ってるよ?バカにするな!なんて怒られそうですね。

そうです。それくらい常識的な事であるはずなんです。
では、もう一度ご自身の食生活を振り返ってみてください。

朝食や忙しい時の食事をBREADやCEREAL で済ませてはいませんか?
ファイバー入り飲食物で食物繊維の摂取を済ませていませんか?
パスタやハンバーグやピザで食事を済ませていませんか?
ファーストフードで食事を済ませていませんか?
やたらとSUPPLEMENTに頼る食生活をしていませんか?

若い方でしたら尚の事心当たりの一つもあるのではないでしょうか?

そんなもので済ませなくても、ご飯や味噌汁、旬の野菜や果物、糠漬けや納豆といった自然発酵食品など日本人の体質に合ったものがたくさんあります。

実際に、日本食は世界的に見ても素晴らしく高水準なバランスの取れた機能性食品群の宝庫であるのです。

その事は1977年にアメリカで発表されたMcGovern・Reportにも記されています。

ちなみにMcGovern・Reportとは、当時のアメリカで生活習慣病が激増した原因を究明するべく大統領令によりマクガバン上院議員を中心としたアメリカ上院議員栄養問題特別委員会が組織され、世界中の資料を集め、二年間に渡り研究した結果作成された、実に5000ページを超える報告書の事です。

そのマクガバン・レポートには「諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした食原病である」という指針を明示し、加えて「最も理想的な食事とは元禄時代以前の日本人の食事である」という食の理想像を打ち出していたのです。

しかし、現代の日本人の食事はどうでしょうか?

かつてのアメリカが犯した食文化の荒廃を見事にtracingしているではありませんか。

確かに戦後の日本は欧米からは非常に優れた産業や新しい文化を驚くほど短期間で得る事ができました。
そして国は豊かになり、人々の生活水準も年々向上して行きました。

ところが、最も誇るべき日本の美しい食文化までも欧米化の波に揉まれ、悪しき方向へと変化してしまったのです。

日本には「医食同源」だけでなく、CLIMATEとBODYは一体であると言う意味の「身土不二」や、食材は丸ごと全部食べことにより、全てのEnergy が得られるという「一物全食」という素晴らしい思想があります。

己を知り、旬を知り、食を知る事で間違いのない食生活というものが見えてくるはずです。

全てを正しく続ける事は難しい時代になってしまいましたが、むしろこんな飽食の時代だからこそ、正しく選んで食べることが大切なのです。

どうか「医食同源」を忘れずに、一食一食を大切にしていきましょう。

2010年10月8日金曜日

医食同源(薬膳) medical treatment and  eat 

今回は少し、「医食同源」についてお話しましょう。
医食同源(いしょくどうげん)とは、日頃からbalanceの取れた美味しい食事をとることでsicknessをpreventionし、treatmentしようとする考え方。
 
日本での造語!?
 
意外に思われるかも知れないが「医食同源」という言葉は古代中国で生まれたものではない。1970年代に入って、栄養第一主義の欧米食文化への反省や日中国交回復を機にした中国文化の再認識の中から、中国式食養生が日本でBOOMになった。このとき使われた言葉が「薬食同源」や「医食同源」で日本での造語なんだそうですよ?!
なんでも、古代中国では医師を4つのRANKに分けた。周王朝の制度週間を述べた《周来》によれば、最高位の医師は「食医」、すなわち王の食事の調理・管理を任されていたそうで、食医に次ぐランクは「疾医」で今の内科医系医師。次は「瘍医」で今の外科系医師。ともに食事が治療の重要な位置を占めていた。4番目のランクは獣医であったそうです。
古代中国では「DRUG」としての「FOOD」の重要性が古くから指摘されており、その意味で「医」や「薬」が食と「同源」という思想は言葉こそなくとも中国医学の根幹をなすものであったことは事実であったそうです。
 
JAPANESEpacked lunch AND Japanesecooking
 
日本の弁当の薬膳効果を考えると、日本の代表的な弁当『竹の皮に包んだ梅干し入り握り飯』は逸品です。
[竹やササの葉」は、サリチル酸成分が雑菌の繁殖を抑え、防腐・殺菌に役立ち、ご飯のむれと乾燥を防ぎ、脱臭にも効果があります。[ハラン]のフィトンチッド成分、[BEEFSTEAK PLANT]のペリラアルデヒド成分は殺菌効果大です。食中毒予防には、弁当箱の底に「かい敷き」として、竹・ササの葉、ハラン、大葉シソなどを使いましょう。
[PLUM PICKLES]の酸味クエン酸は、特に殺菌力が強く、ご飯の腐敗、食あたり、下痢には効果があり、体の乳酸を分解し、疲労回復に効く。梅のピルビン酸は肝機能を助け、悪酔い・二日酔いに効果があります。
[GINGER]と鶏肉の細切りを油でいためると、ショウガの辛味成分ジンゲロンが食あたり・下痢を防ぎ、血液の循環を良くし、胃腸など内臓全体を活発にさせて食欲・発汗・新陳代謝を促します。
 
さて、刺身包丁と出刃包丁は日本独特の片刃。西洋と中国の包丁は両刃です。片刃包丁は魚をおろし、刺身を作るのに便利ですが、両刃では苦労します。西洋と中国の魚料理にぶつ切りが多いのと対照的に、海の幸に恵まれた日本人は船盛りや大漁盛り、握りずしなど繊細で美しい魚料理を完成させました。
日本料理は『引き算』、中国料理は『寄せ算・足し算』と言われ、日本の板前さんの多くは魚の皮・血合い・中骨を惜しげもなく捨てますが、薬膳では皮と血合いを大切にします。必須アミノ酸・ビタミン類・鉄分・カルシウムが多いので塩焼きや湯引き、炒め物など工夫して食べましょう。近頃は背の青いイワシ・サバ・サンマなど『光りもの』が注目されています。中国薬膳は「青い魚は体を温め、脾を助ける」と教えています。青い魚の油脂はEPA・DHAを含み血の粘りを取り除き、心臓や脳血管の病気を予防します。酸化が早く、臭みがあるのが難点ですが、新鮮な魚を入手すれば大丈夫。 gingerや酢・梅干し・レモン・大根おろし・シソの葉・みそなどで調理するのがベターです。
ヒマワリ・紅花・月見草などの植物油はコレステロールを下げ、healthy だとされていますが、名古屋市立大学の奥山治美教授はそういった考え方を『間違い栄養学』と指摘しました。動物・植物の油脂はほどほどにして、青い魚や緑野菜・根菜・海藻・シソ・エゴマを忘れずに食べるのが21世紀の薬膳とされているそうです
 
薬喰
 
歳時記に「薬喰」という冬の季語がある。季節に関係なく身によいものを食べるという意味と、寒中に滋養になる獣肉や魚肉を食べるという意味があり、『図説俳句大歳時記』(角川書店)の解説には“昔、仏教の殺生戒や神の使わしめた信仰により、獣肉を食うことを悪とみなしたが、寒の中に限ってシカ・イノシシなどの肉を食べて”身の養いにしたとある。今流行のおためごかしの薬膳料理とは似て非なるものだ。
ある談笑の座で、同席していた友人がこの季語について私が話すのを聞いて、“クスリグイとは、薬を食うという字を書くのね”と、初めて知ったようにうなずいていたのを思い出す。彼女によれば、子供のころ、冬になると、父親がクスリグイだと言うて、牡丹鍋を食べに連れて行ってくれた。その意味が、やっとつかめたという。友人が80歳過ぎだから、その親となると明治も中頃の生まれか。そう遠くない時代まで、薬喰という言葉が家庭の会話の中で生きていたのだ。

2010年10月7日木曜日

INDIACURRY DINING

女性にうれしい カラダの中から元気にキレイになる為に、インドカリーダイニングと言うのが、あるそうです。そこでは、16 種類のスパイスを使っている様です。
スパイスは「辛さ」や「風味」付けだけでなく、漢方薬のように体にも良いとされており、それぞれのスパイスにいろいろな効能があります。
その中で、女性のお悩み4つを解決すべく、Spiceの効果を紹介しています。
<CurryのSpiceのeffect>
○ダイエット
 極度の食事制限はカラダに負担がかかります。
カレーに欠かせない<Red Pepper>は脂肪を燃やし発汗作用があり、<Cardamon>は体の脂肪を取るため、Dietとして効果的です。さらに<Pepper(胡椒)>は新陳代謝の活性を促す働きがあります。
また、あまり知られていませんが、<cinnamon>も実は発汗作用があるため、多少料理に混ぜるとダイエット効果が期待できます。 (vegetable curry なんかいいかも!)
○女性に多い冷え性に!
 冷え性は、ひどくなるにつれ様々な障害をカラダに及ぼしかねません。カラダを温める食材としてやはり<ginger(生姜)>は欠かせませんが、意外にも<nutmeg>もカラダを温める効果があります。他にも<laurier (月桂樹)>が冷え性の緩和の効果があるといわれています。
Red pepper>には血行促進の効果がありますので、冷え性の改善や発汗作用などの働きがあります。 (おすすめは、HotなEggCurry)
○美肌効果?!
 
 カサカサ、ニキビ、くすみ…女性のお肌はいろいろな悩みがつきもの…。
turmeric(ウコン)>は抗酸化作用によって、女性にはうれしい美肌効果や老化防止の効果もあると言われています。また、<paprika>はカロリーも少なく美肌効果があり、<laurier(月桂樹)>はニキビや肌荒れの予防、新陳代謝を高める効果があります。 (野菜のDry curryかな?!)
 
○生理不順に?!
 女性にとってつらい悩み…。
カレーの香りの中心核ともいえる<cumin>には生理不順の改善に効果があり、腹痛や胃痛・関節痛の緩和にも効果があります。また、<cinnamon>の辛味はおなかを温めてくれるので、生理痛を緩和してくれます。
さらに色々なスパイスをブレンドした香り豊かなマサラティーで、ココロもカラダもリラックスできます。 (おすすめは、ホウレン草のパラックカリー)
○しかし、これらの、スパイスを一度の摂取で健康効果を得ることは難しく、また逆に過剰摂取はカラダに悪影響を及ぼしかねません。
普段から気に留めておいて少量ずつ継続的に摂取していくことがいいと思います。

2010年10月5日火曜日

Cooking and light

料理や食材を新鮮でおいしく見せる光って?

最近、スーパーの食品売り場では、野菜や果物、肉などがとても新鮮で美味しそうに見えますよね?。ところが、購入後に袋詰めをしようと商品を見ると、売り場で見た時の色艶と異なって見え、あれっ?と思われたことがありませんか?

これは商品自体の問題ではなくて、売り場と購入後の場所の照明の違いによって、見え方が変わっているのです。売り場をよく見ると、使われているのは、食材が美味しそうに見える波長を選択して放射するダイクロイックミラ-付きハロゲン電球などの照明器具です。

一方、購入後の場所の照明は、天井に蛍光灯の照明器具がついているのが主流です。蛍光灯にも演色性(色の見え方)の良いものもありますが、光がやわらかいので、全体的に平坦な感じに見えます。これだけで見れば、それほど気にならないのですが、ハロゲン電球で見た記憶が残っていて、それと比較をしてしまうと、差が出てしまうのでしょう。

このことは、家庭で作る料理にも当てはまる様に思います。もちろん、大切なのは味ですが、それでも見た目が美味しそうな方がいいに決まってますね!光は料理を美味しく見せるうえで、とても大切な要素である・・・と思います。


料理の味覚と視覚の関係を考える

料理は舌、つまり味覚で味わう前に、目で見て視覚でその味を予測しまね?例えば、lemonは見ただけで唾液が出るほどすっぱさを感じますよね?!つまり光は視覚に働きかけ、時には人の感情にも影響を与えるのです。

日本のHomecookingは、洋食・中華・和食を混在した料理が食卓に並びます。それらをご馳走に見せるには、前ページでお話したように、まずは、ハロゲンランプスポットライトを含めた白熱灯で食卓は周辺より明るく浮かび上がらせることがよいでしょう。それから、調光器やcandleを使ってみるといいも!光の加減やゆらめきで料理が更に楽しく、美味しく見えてくることでしょう。

そして料理やTabledesignだけではなく背景となるDainingroom全般のInteriorにもこだわってみましょう。例えば、使う食器。洋食であれば磁器のお皿やホーク、ナイフなどの食器が輝くと、それだけで豪華に楽しく見えます。洋食には欠かせないメインにかかるsauceも美味しそうに輝くことでしょう。

朝食・昼食・夕食と言った時間帯によって料理を映し出す明るさも変わります。それを考えると、料理や出す時間帯によって、使う光源も変えていくのが究極の手段かもしれませんね。時間とゆとりのある時は、是非、試してみたいものですね。

2010年10月4日月曜日

lunch-timeの上手な使い方の西洋人

ヨーロッパの紹介番組や雑誌などで見たり聞いたりしてよく感じるのは、外食でのlunchtimeです。彼らは単に食べることだけではなくおしゃべりを楽しんでいるように見受けられ、時間をかけて食事をしています。
特にdinner restaurantは全てといってよいくらい暖かい光で、落ち着いた雰囲気があります。さらに雰囲気のあるレストランにはキャンドルが欠かせず、一見暗く感じる空間でも居心地がよく、1時間以上の時間をかけての食事でも、時間の長さを感じさせない効果がそこにあるように思われます。
住宅での食事はレストランのようなわけにはいかないと思いますが、ほとんどのお宅では、雰囲気などにも気を使っている様に見受けられます。
一方、日本人・・・と言うか、日本の会社や社会全体が時間に縛られ、忙しい人が多いせいか、はたまた生活習慣の問題か食事に時間をかけることが少ないと思われます。あまり歓談することなく、ただモクモクと食事をし、時間内に食べ終わって早く仕事に戻ろうとしているのか、すごい人になると、昼の食事をしながら仕事をしている人もいたりで、結構早食いになっているように見受けられます。

食事はよく噛んで、ゆっくりとすることで満腹感を高める、と言われています。それは結果、健康的なdietにつながります。しかし食事をする前に心身のストレスがあると、自律神経の働きが乱れゆっくり食べる余裕がなく、早食いとドカ食いをすることが多くなり、いづれ生活習慣病に陥る可能性が高まっているのではないか?と考えられます。日本人も、もう少し食事の時間に余裕を持たせて、食事や会話を楽しむ様にしたいものです。

2010年10月2日土曜日

Hula dance Boomで女性に人気のHawaiian dining !!

最近、hawaiian diningが根強く支持を伸ばしている話を聞きました。その背景にはdietや腰痛にいいというhulaのboomがあって、顧客の8割以上が女性という店も珍しくないほどなんだそうです。一方で最近はハワイに海外旅行に行く日本人は減少傾向にあり、必ずしもハワイに行きたいから、行ってきたからハワイアンダイニングでもないようです。そこで。hawaiian diningの強さの秘訣を探ってみました。
その背景には女性に人気のhula daceのboomがあるようです。

「最近の日本のフラダンス人口は40万人いて、さらに増えていて、東京でフラの教室は電話帳に登録されているだけで115軒あり、中高年女性から若い女性へ広がっている傾向にあるそうです。
東京の恵比寿は最近、“リトルハワイ”とマニアの間で呼ばれるほどのハワイ関連のショップ、dining、フラダンス教室のメッカとなっており、全部合わせれば20軒を越える集まりになっているようです。
 もう一方で、湘南から東京へのハワイブームの波及という側面もあり、おそらくハワイムードの店で最初にヒットしたのは、鎌倉・七里ヶ浜のcurryの名店「珊瑚礁」や1986年に海岸線の国道134号線沿いにオープンした「モアナマカイ店」は、オープンエアのテラスやたいまつを焚く、アロハシャツやムームーを着た店員が迎えるといった演出を目立っていた。 ハワイの料理には日系人の発想が多く取り入れられていて、代表的料理の「ロコモコ」、というのは要はhamburg donである。ただしbeefの肉汁からつくられるアメリカ料理らしいグレイビーソースは、ぼやけたような味になることが多く、このソースを日本人の口に合うようにどう改良するのかが、各シェフの腕の見せどころになっているんだそうです。

 そのほか、「スパムむすび」、もち粉を使った唐揚げ「モチコチキン」、「スペアリブ」、「ガーリックシュリンプ」、サーモンマリネの「ロミロミサーモン」、「アヒ」と呼ばれるマグロのポキ(ヅケ)、白身魚「マヒマヒ」のフライなど、ハワイ料理はどこか日本で見たことのあるような料理が多く、日本人になじみやすい面がある。

 コーヒーも名産のコナコーヒー、アルコールも「ブルーハワイ」、「マイタイ」などさまざまなトロピカルカクテルがあって、女性受けしやすいものが多いと言えるだろう。

一方で、日本人のハワイへの観光客は、ハワイブームと裏腹に最近10年減り続けていて、、hawaiian dinnigの中には顧客の大部分が実際にハワイに行ったことがない店も存在するようである。
このような事から、ハワイを忠実に再現するばかりが能ではなく、いかに日本人のハワイへの憧れを表現するかが重要なこの業態のポイントとなるのではないか?と考えます。

2010年10月1日金曜日

diet_menu

最初に
 
毎日ちょっと心がけるだけで、肥満が予防できたらいいなと思いませんか?いきなりのdietで体を壊し、短期間で痩せたとしてreboundで元の体重以上に増えてしまった!なんてことにならないようにしたいものです。
太っていない方も、今のスリムな体を維持していきましょう。これだけ覚えて心がければ、美しいスタイルと健康をキープできる方法をご紹介します。
 

食物の好みを変えよう!

あなたは何が好きですか?その好きな食べ物は高カロリーなものでしょうか。現在痩せていたとしても、歳をとるごとに代謝が減り、余分なカロリーは脂肪となって、あなたの身体に蓄えられます。
ファストフード店や、食べ放題のお店に訪れた際、周りを見渡してみてください。太っている人が多いことに気がつきます。食の好みは、その人の体型に反映されるのです。
なのでいっそのこと、食べ物の好みを変えてみてはいかがでしょうか。japanesefoodは、日本人の身体に適しています。欧米の方が肉をたくさん食べても平気なのは、腸が短く、消化されやすい体質だからです。
今一度自分の食生活を見直し、普段あまり食べないようなものも積極的に食べてみましょう。新たな発見とともに、好みが変わればしめたものです。

食べたいものは我慢せず食べよう!

疲れたときに「甘いものが食べたいな」と思いますよね。それは脳が糖分を欲しているから。「無性に野菜が食べたい」と思うこともあるはずです。
それらは自分の身体が純粋に栄養を欲しているサインなので、聞き逃さないであげてください。そんなときは逆らわずに、ぜひ十分に摂取してあげましょう。
ただし、ゆっくりよく噛んで、腹八分目を心がけて。おなかとも相談しながら食事を楽しみましょう。くれぐれも「ながら喰い」や「つられ喰い」はしないように。
いつも以上に甘いものや脂っこいものを欲するときは「本当に食べたいの?」と自分に問いかけましょう。おなかが空いていないのに食べたいと思うのは要注意です。
基本、おなかが鳴ってから食べるようにするとよいでしょう。食事の時間が決まっている人は、その時間までに消化しきっておなかが空く状態になることを考慮して、毎回の献立を立てるのもおすすめです。

ご注意!

まず健康であることが一番の財産です。style維持ももちろんですが、自分の身体を思いやることを一生続けていきましょう。