2010年10月16日土曜日

JAPANESE FOOD 「SUSHI」

『寿司』のHistory 
「sushi」には『鮨』『寿司』『鮓』があります。 しかし、これは当て字と言われております。
「すし」の始まりは、詳しい資料などありません。
東南アジアの山奥の民族が、川魚の保存するために、麦や豆などの穀物を、 炊きこんだものに漬け、
自然発酵させて、賞味期限を延ばして、保存し、食べたというのが、始まりであるという説があります。
鮨、鮓という漢字は2500年以上も前から中国にあった漢字です。 「旨」は熟成する、「乍」は薄くするの意味で、
自然発酵させて食べていた魚が、東南アジアの山奥から中国に渡り、 それが日本に伝わったとされています。
しかし、Chinaには現在、 それに近い食べ物はないそうです。
その東南アジアの山奥からjapanに伝わり、同じ頃に漢字が伝わって来たため、
『鮨・鮓』の漢字が使われているという説があり、この説の方が納得できる気がします。
 『寿司』とは、お祝い事(寿)として、司る(つかさどる)の意味で、 縁起が良いとして言い伝えられています。
日本に伝わったのは、いつであるかとは定かではないが、 漢字だけが伝わって来たという説もあります。
魚介類の「すし」と呼ばれる漬け物が大陸から来たという説もあります。
書物では、718年の養老律令で、『鮓・鮨』の漢字があり、 これは魚介の漬け物といわれている。
なれずし(馴れずし)は奈良時代の書物に近江国から宮中への献上品として記してあり、
琵琶湖のニゴロ鮒と江州米を漬け込んで作ったものだそうです。 これは、 現在の『フナ寿司』のような物です。
その他にも、すしの原型は、 関西中心のお話が多く、日本の寿司の伝統は関西であるといわれています。
『サバの棒寿司』『押し寿司』『箱寿司』は、 関西発祥であるのは有名な話です。
 そして、同様に有名な『握り寿司』は徳川幕府末頃、屋台の料理人がその頃主流の関西風の押し寿司の
寿司飯に魚介類をのせて、簡単に作れるとして、 販売したのが、『握り寿司』の始まりだといわれています。
その時の寿司一貫の大きさはテニスボール位の大きさであったという、 資料があります。
今の握り寿司とはかなり異なっています。
食材のネタも今とはかなり違い、握り寿司の誕生から 日本国中に広がっていったのは、昭和に入ってからです。
江戸以外では『握り寿司』は歴史はかなり浅く、 江戸の郷土料理ともいえます。
『江戸前寿司』とは、握り寿司の発祥の地が江戸で、 江戸城のお堀で、ウナギがよく取れたので、
江戸前のウナギの蒲焼と、商人が販売していたが、 いつの日か、東京湾で取れる魚介類のことも、
江戸前と表現するようになり、人気上昇中の握り寿司のネタにも、取り入れられて、
『江戸前寿司』と呼ばれるようになりました。

  
今や、全国各地でも『江戸前寿司』の看板やのれんがあるが、
寿司ネタを東京湾で取れた物だけにしているのではなく、
『江戸前』という言葉が、ブランド的存在であるという説があります。
これは、定かな説ではないようです。

「シャリ」の語源は「仏舎利」(仏様の遺骨)が、ちょうど
お米の形に似ているためそう呼ばれているそうです。

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