『寿司』のHistory |
「sushi」には『鮨』『寿司』『鮓』があります。 しかし、これは当て字と言われております。 「すし」の始まりは、詳しい資料などありません。 東南アジアの山奥の民族が、川魚の保存するために、麦や豆などの穀物を、 炊きこんだものに漬け、 自然発酵させて、賞味期限を延ばして、保存し、食べたというのが、始まりであるという説があります。 鮨、鮓という漢字は2500年以上も前から中国にあった漢字です。 「旨」は熟成する、「乍」は薄くするの意味で、 自然発酵させて食べていた魚が、東南アジアの山奥から中国に渡り、 それが日本に伝わったとされています。 しかし、Chinaには現在、 それに近い食べ物はないそうです。 その東南アジアの山奥からjapanに伝わり、同じ頃に漢字が伝わって来たため、 『鮨・鮓』の漢字が使われているという説があり、この説の方が納得できる気がします。 |
『寿司』とは、お祝い事(寿)として、司る(つかさどる)の意味で、 縁起が良いとして言い伝えられています。 日本に伝わったのは、いつであるかとは定かではないが、 漢字だけが伝わって来たという説もあります。 魚介類の「すし」と呼ばれる漬け物が大陸から来たという説もあります。 書物では、718年の養老律令で、『鮓・鮨』の漢字があり、 これは魚介の漬け物といわれている。 なれずし(馴れずし)は奈良時代の書物に近江国から宮中への献上品として記してあり、 琵琶湖のニゴロ鮒と江州米を漬け込んで作ったものだそうです。 これは、 現在の『フナ寿司』のような物です。 その他にも、すしの原型は、 関西中心のお話が多く、日本の寿司の伝統は関西であるといわれています。 『サバの棒寿司』『押し寿司』『箱寿司』は、 関西発祥であるのは有名な話です。 |
そして、同様に有名な『握り寿司』は徳川幕府末頃、屋台の料理人がその頃主流の関西風の押し寿司の 寿司飯に魚介類をのせて、簡単に作れるとして、 販売したのが、『握り寿司』の始まりだといわれています。 その時の寿司一貫の大きさはテニスボール位の大きさであったという、 資料があります。 今の握り寿司とはかなり異なっています。 食材のネタも今とはかなり違い、握り寿司の誕生から 日本国中に広がっていったのは、昭和に入ってからです。 江戸以外では『握り寿司』は歴史はかなり浅く、 江戸の郷土料理ともいえます。 『江戸前寿司』とは、握り寿司の発祥の地が江戸で、 江戸城のお堀で、ウナギがよく取れたので、 江戸前のウナギの蒲焼と、商人が販売していたが、 いつの日か、東京湾で取れる魚介類のことも、 江戸前と表現するようになり、人気上昇中の握り寿司のネタにも、取り入れられて、 『江戸前寿司』と呼ばれるようになりました。 |
今や、全国各地でも『江戸前寿司』の看板やのれんがあるが、
寿司ネタを東京湾で取れた物だけにしているのではなく、
『江戸前』という言葉が、ブランド的存在であるという説があります。
これは、定かな説ではないようです。
「シャリ」の語源は「仏舎利」(仏様の遺骨)が、ちょうど
お米の形に似ているためそう呼ばれているそうです。
寿司ネタを東京湾で取れた物だけにしているのではなく、
『江戸前』という言葉が、ブランド的存在であるという説があります。
これは、定かな説ではないようです。
「シャリ」の語源は「仏舎利」(仏様の遺骨)が、ちょうど
お米の形に似ているためそう呼ばれているそうです。
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